日記

とみいえひろこ/日記

2021.01.02

からだが出来るだけ納得いくまで好きに過ごす、おそるおそる。

人と同じことを同じときにする感じが苦手で苦手でたまらないので、今年は今の家族以外誰にも会わない年末年始で楽だなと思う。

新刊を読むのもとても苦手だけれど、去年の4、5月頃は不思議に〈今、書かれ、現れているもの〉を読みたいなと思っていた。

『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ 斎藤真理子 訳/筑摩書房

今日やっと読んで、耳に入ってきていたいろんな感想の意味がわかった。最後の一行のインパクトも、ああ、ああ、なるほど。。と思った。わたしは80年生まれ、日本生まれ。ほんの数年でたとえば就職活動のときに味わわなければいけない出来事や辛さの感じが違ってくるけれど、どの時代が楽だったというのは絶対にないだろう。…と書いて迷う。不条理にそれは定められているだろうし、でも誰もがそれぞれの環境で真面目で必死に生きるんだろう。そして、それでも、だんだんよくなっている、ほんとにいい時代になったんだなあ、と子どもの保育園や学校との関わりを通して、噛み締めるように思うときがある。

そのときそのときの自分の身を守るための必死の方法が、ほんとうのところは、そのまま次のひとへバトンを渡していく方法なんだと思う。でも短い目でみると自分の身を守るためにとる方法がほかのものを殺す方法しかないという事態、そうするしかないという状況は往々にしてある。

彼女がその行動をとるのをわたしが責めるのは違うし、その「声を上げる」やり方では同じことになるのではと思うことがある。自分の行動がやっぱりまだ残っている大きなシステムが生き延びるための餌になるんだと知っていても、そのゲームに何らかのかたちでのらなければいけない、今も。

ならば、せめて、そのなかでたくさんの自分を増やしていき、出来るだけ軽く、自在に動かして生き延びる道を、息をする空間を多くつくりたいと思うようになる。そう思うようになるのも、そのニーズに応えるような技術や認識がたくさん編み出されるのもなんだかわかる。死にながら生きるみたいな。そうやって足下から価値をずらしていく。

 

外出の機会が減って、ディスタンスを多くの人が意識するようになって、路上で知らない男から唾を吐かれることがなくなった。というのは不思議な感じがするし、自分が若い女性ではなくなったことで、この「唾」に象徴されることを受けることが減ってきた。

減ってきたのと、吐かれ方や受け方が変わってきた。余裕が出て来たために、とても嫌できつく情けなくばかばかしいけれどいちいち気にしないようにしていたことが見えて来たという鈍感さも情けなく思う。ただ、そのときは鈍感にならないととても生きられなかったとも思う。

自分が誰に吐いているのかということ、自分が人に他ならぬ「唾」を吐いているということにおそらく無自覚に「唾」を吐くところまで追い詰められたひとにももちろん文脈や背景があって、唾を吐かれたという事実は運悪く自分の身に起こったことで仕方ないことだった、と自分が思うに至るまでの道のりは、今からでも自分のなかでふくらませたり変えたりすることができる。

自分の手の届く範囲のことをする、と思っている。自分のなかでふくらんだり変わったりしたエリアが、そのときの自分が「手の届く範囲」になるのだろうと思う。