日記

とみいえひろこ/日記

2021.04.02

犬は何がたのしいんだろう。こんなところに連れてこられて居させられて、仲間もおらず、けして自分で選ばせてもらえず、自分で選んだものでもないものばかりを周りのタイミングや気分で与えられ、たのしいということも、たのしいということに溺れるということも、自分が自分でなくなることがあるということも知らず、ひとりで、ここで、なんとか切り開いていくしかない。

自分がこうしたら相手が笑ってくれ時が和やかに過ぎるということを学び、生きのびることに夢中になる、生きのびようとする。それでも、相手なんかにかまわず自分で選んだり主張する、そういう快楽のようなものを、欲望のようなものを、からだの内側からつよく思い出す、苦しい。

自分で選ぶということのとんでもないスリルに、気持ちよさにかき立てられながら、相手の世界がもろく、考えなしで怯えているばかりだということを知る。がらりと世界が変わる。同時に、今ここでその相手に依存して生きていくしかないという深い諦めに包まれる。

見ていると、なにかをみつけて、なにかをききとめて、それがなにかを確かめようとする習性に生かされ突き動かされているみたいに見える。噛んだり嗅いだりして確かめようとする、その噛むこと嗅ぐこと自体に夢中になって、どんどん夢中になるうち、時間が果てしなく先へのびていく。

復讐、共犯、盗み、諦め。犬を思うわたしは、それらの種類の感傷をもつ。自分で選んでいると思っているもの、それは大きなしくみに逆らえない。疲れてしまう。何の言葉にもならないもの、なんとかすり抜けるもの、一瞬でも幻でも大事にできればいいのにと思う。

今日の夜の散歩はまんなかの島に降り立ち、桜に赤く光りゆれる水、彼がひとりで居られる時間。彼とはすこし友だちだと思う。遠く、分かり合えないから。向こう岸からは人の群れ、悲鳴、食べもののにおい。円環の時間。

 

ラフ出し、アイデア出しにかける時間を神聖なものだと思いたがりすぎなんだろうか、昭和的な感覚なんだろうかと思う。かける時間というのはなにかしながら、調べたりあたためたり検証しようとする時間。具体的にものごとが来たときに即答できればいいと思う。その、ものごとが来る前の時間。その時間に間に合わず、足りなくて足りなくてまわりにものをかき集めすぎて、収集がつかなくなり、遠回りと思っていたものがただの寄り道になり、間に合わなくなって裸になって間に合わす。または間に合わない。犠牲を出す。手続き、相談、手続きの旅に出ないといけないと気になりつづけている。つながりかけた手紙がまたそのままになっている。