日記

とみいえひろこ/日記

2020.12.29

///  感覚的な話、すべて感覚的な話。自分は立体的にモノ、モノゴトを見るのがかなり苦手で、感覚的な話ではあるけれど、実際にそうだと思う、当たっていると思う。どこまでも平面としてとらえて見ていくと自分のなかでは大丈夫な感覚がある。うまくいくとひとつの特徴としてそれが表現される。ただ、そのようにするための時間と空間、隙間が必要。自分にとって独特の時間と隙間が必要。これは仕方がないと思う。

紙を計って切って、実際に試作する、話を聞いてメモした感覚的な言葉も書いてある、捨てずにクリアファイルにはさんでいく。仕事している感もプロセスとして必要だと思う。場所ができてほんとうによかった、、場所をつくるということをひとりでは思いつかなかった。

今回がそうなのか、いつもほんとうはそうなのか、とても進みが遅く、最初にもってしまった方向性がずれていることを認める素直さ、身軽さがいると思う。数時間のまとまった時間をとることがあいかわらずほんとうにとても難しい。

 

/// 『ブルースの文学 奴隷の経済学とヴァナキュラー 』ヒューストン・A. ベイカー・ジュニア  松本 昇 清水 菜穂 馬場 聡 田中 千晶 訳/今福 龍太 解説(法政大学出版局

とてもおもしろく、愛おしかった。「黒い」音、という。黒い音だと自分が心のなかでたしかに感じる、この、これは何か? といつも思ってしまう。思ってしまう、思ってもどこへも行けない灰色のなかに溶け込んだ耳で。何が自分には思えないのかが灰色でいつも分からない。これは何か? なぜ、わたしのなかの誰がそう感じるのか。知らないのに知っているのはなぜか。その答えへ向かって迂遠する。迂遠して分からないでいるというやり方、締め出されてここにないものをぜんぶ真実だと信じてみて聴くというやり方がある。

ブルースは自責からはじまるということ、どろどろのなかでどうしてもかかってしまう体重がのっているところ、くたびれてひ弱でもう「誰か」ではなくなったところ、既に長くここにあった記憶に通じるところ、どうしても在ってしまう力、そこを「交差点」としてながめる。その、様式、形式について。

 

知らない音楽を聴くのは妙な勇気がいり、時間もいる。わたしの住まう空間は時折時間が止まり、沈む。自分はそこに適応できていて、こういう時間の流れ方に救われている。

 

/// この延長に何があるか分かる、ゆるせないと怒り散らす。そんなことゆるさないと怒りがぶり返し、戻っていって相手が泣いても大声で怒り散らす。怒って恐れているこのことはつねに自分がすでにそこに片足を突っ込んでいるのではないかと疑っていることだと思う。自分に怒っているのではないかと思いはじめながら、このようになってはいけないと怒る。