日記

とみいえひろこ/日記

2021.08.01

すこし休みたくなった。夜気に冷やされた質素な椅子と青く塗られた壁をここに置いて、そのひとは水を飲みに行った。たくさん踊るから、たくさん水が必要なのだ。踊るひとたちは生きることが身体に囚われることだということを知り抜いている、という。囚われたまま、ぬるい水を飲み、身体の熱をすこしぬるめて、しずかに流れこむようにそのひとが戻ってくる。踊りが止んだためにかすかに目を覚ました椅子と壁は、踊るひとが戻ってきたことに安心して、また眠った。

もうすこし休んだらまた同じように踊り始めよう。踊り始める前の話。踊り始めるための練習をする、その前の時間。

水をたっぷり飲んだあとの口を、あなたはひらく。それでも、と言う。それでも、何だったっけ、何の話をしようとしたのか、とても小さなことだったから一瞬で忘れてしまった。

それでも、と声が小さく響き、空気が震えたとき、その喉のうちそとにみっしりと生えている草がざわりとうごく。暗く美しい声の生身が現れ世界を撫でたとき、彼がこの言葉を心のなかでどれほど繰り返してきたかということを誰もが知る。もう少し長くここにいたいと、わたしも思い始める。椅子や壁のように。もう少し、できるだけ長くここにいて、それでも、のつづきを聴いていたい。