ジョージナ・クリーグ 中山ゆかり・訳『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』(フィルムアート社)
そうだよね、それはそうなるよね。なぜこの関係性に思い至らなかったのだろう、生きていくために自分のもっていないものをお互い求め合いもたれ合い、彼女たちは、彼女たちとわたしたちは、複雑で巧妙な共犯関係を結んだし、今も結んでいる。
〈ない〉という〈聖域〉をもつ彼女は、ここで生きていくために、ここで生きているということをまわりに証明しなければならなかった。
あなたがそのようでしかいられないことがあって、私がこのようでしかいられない。あなたがいないと私はいない。〈ない〉を排除したい過剰な世界にあって、自分が自分の呼吸する場所を確保するために、何かをもっとなくしつづけ、何かをもっと持ち続けた。そのやり方が彼女の編み出した呼吸の仕方だった。
ヘレン・ケラーも、ほかの誰も、自らの孤独だけは手放さなかった。彼女のとなりには、ものが見えていた彼女の物語もあった。その物語のほうは、ここでは、この、〈ない〉エリアに侵入して溶け込み見られていた物語として語られていた。その逆の物語は、ここからは、見えない。
なぜ思い至らなかったのだろう。わたしはわたしにしかない、別の見方でそれを見ているからだ。いつも。見えていて、そこに孤独はありながら、そのことに自覚的でないというところが、諸悪の根源みたいなものだ。