日記

とみいえひろこ/日記

2022.08.26

男にはいつも怒りがあった。そういえば、

それは「甘え」といろんなくっつき方をしている、相性がいい、というのは誰もが分かっていたと思う。分かっていることしか現れてこない。いくつかのパターンがあって、きっとたいがい同じで、外からやってきたわたしがそこに疲れ果ててぼろぼろになり、逃げ切れることはなく、長くびくびくしてしまう、つまらない。そんなところに足をとられて、何の意味もない、

理屈っぽくてひとつひとつの文章が短くて、橋本治源氏物語ならおもしろくて途切れても手にとってひきつづき読めそう。たぶん「本来の」表されるべきものとは違う、別物なんだろうけど、と、ものすごく途切れ途切れに読んでいる。そして、その表されるべきものでなかったものを、作者が書いたから別物が書かれたのだろうとも。

海の向こう、海の向こうを遠くに見て、すこし離れてそれぞれ座る。そういう、怒りの抱え方もある。甘えはもっと細やかなかたちに分かれる。

診察を受けて、自転車もお風呂もOKになって、嬉しくてたくさん歩いた日があった。出血はつづいていて、ただ、これが何の血なのか分かるようになってきた気がする。かたちにあらわれたものは死んだもの。死んでいるのに生きているもの。それを見て理由や意味を受け取るものがいるために、それは生きている。受け取るものが受け取り理由づけや意味づけを生んで死なせる。死なせられたものは受け止められて生き延びる。生き方を変えて。

ジョギングをはじめて、姿勢を気にしたりするのが楽しい。

数は少ないし間に合うはずだけど、というのがいくつか。こんな調子でがんばりつづけたらしぬ、というくらいはじめのほうに時間と力をかけたい。