手続きはとても簡単だった。本人の名前と、それを代理で書いたことを証明するわたしの名前だけ。性別も住む場所も、わたしが何にとっての何者であるかも書かなくていい。何処に説明するための、誰にとっての何者か、ということも。
簡単すぎて崩れ落ちそうになる。今までわたしがときに這うようにしてやってきた膨大な手続きは、あれはいったい何だったのかと思う。長い夢のようだと思う。自分は膨大な手続きから抜け出られないものだと思っていたし、今もやっぱりそう思っている。手続き、契約、約束、対等な。と、呼ばれる、実際はまったく別の名で呼ばれるべきもののほうを向いてわたしは膨大に応えつづけてきただけで、やっぱりほんとうは何の手続きもしてこなかったと思う。そちらに顔を向ける時間も力も頭もなかったし、ないと思う。
でも、たしかにこういう簡単さをよく知っている。あれらは、たしかに、わたしは手続きだったはずだと思う。自分が約束した範囲がはっきりしていたと思う。約束したのは自分と相手だけで、ほかの何にも自分を任せることがなかった。建前でも。自分の範囲があって、自分で決めた。もうここしかない、ここが終われば終わり。
手続きの原型はああいうものではないかと思う。ただ、わたしがしたのはそれ以上絶対に足を踏み入れてはいけない場所を明らかにするための手続きだった。自分が約束できないということを分かり合う、という手続きだった。わたしがとても明確に子どもだったから、そうしてもらったのだ。
どちらの世界が夢なのか分からない足どりで帰る。廊下に立ったままサインをするとき、足元にきている朝陽の白が目に入ってきていた。手続きのために、まわりに誰もいない時間を選び指定してくれたのだとあとで気づく。