日記

とみいえひろこ/日記

2022.03.02

透明の仕切りがカメラに対して垂直に立てられているため、視聴しているこちらからは積極的にそれに気づいていかないと仕切りがある感じがしない。

また、他の場面でも。並んだ数人の距離は適切で、不自然ではない。話す場面ではなく、動線が決められているからどの人もマスクをしていない。これはだってファッションのイベントだから、この見せ方をまもりたかっただろう。事前に動線も見せ方も、マスク着用かどうかについても、よく考えられたんだろうなと思う。こだわればここまでいける。とてもスマートで、場に適っていて、内容よりあの仕切りのような、気づかないと見えない〈動き〉の印象が心に残った。舞台上で、舞台の下で、さまざまな層のルールをそれぞれがまもり、それぞれの動きや考えが常に動き、複雑に組み合わさっているんだと気づく。人は〈動き〉なんだな、人の表情や目に見える印象だと思っていたものはほんとに頼りにならないというか、自分の内面の投影でしかないんだなと思った。見えるものにほんとうに囚われているし、信用してしまっている…信用しているのかな、信用しているというのでなく、目に見えて分かる気がするものに縋ろうとしている後ろめたさや疑いがあるような気がする。空襲に焼かれたあとにいつもの場所へ行ったら、いつも見ていた建物がぺらぺらに見えたという話を思い出した。

 

 

Huluの無料視聴期間でBBCニュースを流している。同時通訳で入ってくる声は、情報とはべつのところに集中がいっていて、取捨選択されながら淡々と裸になってその情報が伝わってくるように思う。切り口や粘り方や、ひとりひとり率直に自分が感じたこと、視聴者にとって(自分の信じるところによって)必要だと判断したことを言えるところが、なんだかぜんぜん普段自分が接しているものと違うなあと思った。