日記

とみいえひろこ/日記

2022.08.02

入院前後にきっちり間に合うようにしないといけないことが出来て、そちらのほうがドキドキしている。こうやって、怖いものを分散したりずらしたりする、いつも。そのやりくちも自分で分かってきている、その自分を見ながら別の手を編み出そうとし続けている自分もいる気がする。

怖いものというのはほんとうに個別具体的で、それぞれに聞いてみないときっとほんとうに分からないし、誰も誰かの怖がるものをばかに出来ない。わたしの怖いものや怖がり方は滑稽だなと思う。ほかのひともそうだと思う。

すっかり生理不順になっていたけれど、入院前に来てかなり安心した。体調がいつもまずここに現れるし、やっぱりとても分かりやすくて、信頼してしまう。

「夫の縫い目」(カルメン・マリア・マチャド 小澤英実、小澤身和子、 岸本佐知子、松田青子/訳『彼女の体とその他の断片』(エトセトラブックス))。

ここで書かれていた「リボン」は、リボンという名前の何か、名前を聞いたら共通して誰もが思い浮かべる何か、同じ役割をもつ何かではなくて、「あなた」が思うその「リボン」ではない。彼女にとっての「リボン」そのもの、「彼女のリボン」というだけのもの、役割のないものなんだと思った。もとは名前もなかった。

もとは名前も、分けるという方法もなく、わたしのこの体はあなたのその体とぜんぜん違うものだった。その前に、わたしという輪郭もなかった。名前をつけることでもとの何かを隠してしまい居場所をぎゅうぎゅうに狭めて追い出してしまうということがよくある。それは良くも悪くもそうで、名前をつける必要がある者が見つけたそれを、名前をつける側のものにするために、そうするということだと思う。名前をつけた者はいつかは、どこかのタイミングで、もとのものを名前から解放してあげないといけない。つける者でもありつけられる者でもある者は、ときどき名前のない世界に戻らないと、もとのものがなくなってしまう。わたしのこの体はほんとうはわたしの体ではない。

リボンの存在が浮かび上がってきて、リボンは「リボン」とあなたに名付けられ呼ばれることで、あなたに向かって応じるようにひらく。ひらいてあなたに見えるように現れるその瞬間、リボンだったものは消える。「消えつつ現れる」。

 

決まった期間に表情を微妙に変えながら来るその感じ自体に立ち会うことがわたしは理由なく好きだったなのかなと思った。安心するのだろう。幼い頃は世界がぜんぶ自分で、自分の身体の大きな内側に行くような感覚が、自分の身体に興味があって好きな感覚が、ほかにない感覚で、それが好きだったんだなと思った。