日記

とみいえひろこ/日記

2022.10.07

状況や前提のぜんぶがどれもずれていて、そのことをちゃんと分かっておらず、暗黙の了解が私には見えていなかったことがあって(見えていたのだろうけどそんなのに了解するのはありえないという暗黙の了解で返していたつもりだった。わたしたちははじめからその暗黙の世界で会話をしていたんだと思う)、途中で引き取ってもらったことがあった。もうそれは無理です、申し訳ありません、ここからはお願いします。状況がはっきりして、ああ、はじめからそういうつもりだったのか、と思う。向こうでも当たり前にそういうつもりがあったので(内面化されていたので)わざわざ了解をとらず、こちらに話が来たのか。自分のなかに当たり前にそういうつもりがあって、自分でも見るのを飛ばしてしまう。だから自分のやっていることが自分でちゃんとはわかっていない。そういうことってたしかにすごくある、と思う。自分がまさにそれ、今そのことを考えようとしている。

終わって、向こうの置かれている立場の具体的な感じや、違う面も見えてきたりする。

わたしはその暗黙の了解には了解していなかった、教えてもらわなかったので。

引っかかることがあれば、それは長く持っておいて、引っかかりをひもといていくことで「向き合う」ことができたり適切に「受け入れる」ことにつながる。いつも、それが基本形だと思う。ひもとく手と、何かのかたちでの言語化、うちがわへの表現力が、いると思う。

引っかかりに気づくための自他の境界線の感覚や、引っかかりをたとえばいくつかの形をもつ「感情」という型にたどっていけるような知恵も。

引っかかりが積もっていくようなら、なんかやっぱり、何かどこかで間違いつづけているのだ、お互いにとって、と思う、終わったら別な面を見て懐かしむ気持ちがわいてくる。

また別のこと。こんなふうに小さな違いがどんどん積み重なって、いるべき場所、似合うやりかたが決まっていっちゃうんだな、すごいな、と思う。こんなふうになってしまった、こんなところに置いてしまった。そうするしかないと、やっぱり思って選んできたので。