日記

とみいえひろこ/日記

2022.10.29

意味が伝わらなければいけない、形式に沿っていなければならない、決まりごとをまもらなければならない言葉のほうについて。態度や様子や悲鳴や、その場で生まれて消えるのではない言葉のほう。口で伝える言葉、書く言葉、というのは、檻のようだと思った。言葉、といって、言葉自体を指そうとする、そこには何もない。

発された言葉は意味をともなって相手に伝わるということが人々のなかで了解されていると思うけれど、実際は、言葉の意味や内容が相手に伝わるわけはない。すべて伝わるわけはないし、ほんとはまったく伝わらないものなのではと思う。

ただ、言葉にすることで何かは伝わってしまう。しかも、言葉を伝えるほうが伝わると思ってもいないような何かが。伝えようと思った何かは伝わらないで消える。何か、檻があることで、秘密がまもられながら伝わるべきものが伝わる。伝えない言葉を適切に安全にまもる檻、伝わるべき何かがまっすぐに通るための檻。檻を通して受け取ったものは、自分の檻のなかで安全に言葉を生む。

 

 

朝光のうすら氷に覚む寄せ合へる二つの冬の素顔さびしき

とある刹那風の伽藍にひとりなりこころ聾する秋のもろごゑ

藁の火に藁を継ぎ足すおもむきに言葉をつぎて冬夜のふたり

 

阿部美智子『風の伽藍』(雁書館)