日記

とみいえひろこ/日記

2023.02.17

最近は、翻訳されたものを読む時間が嬉しい。翻訳物は、発された言葉と時間をかけて人が出遭うためのしくみでもあるのだと思う。言葉が、また、読むほうも、遠回りして面倒な行程を経るなかで成熟するのかもと思う。言葉がここにきた時点でよけいな情念や意図が剥がれていると感じる。面倒な行程を経るなかで多様な解釈や声が重なって重い。重いのに読む私には関わりない。私には抱えようがなく、一回一回、新しい、独特の関わり方を求められる。

 

重要なのは、(このいいかたが不条理なものに見えないとするなら)事物の視点とでも呼ぶべきものを見つけることであって、その視点においては、われわれの主観的で運まかせの個人的な視点からは独立に、事物の真理があらわれるのだ。

(スーリオ『魂をもつこと』(ダヴィッド・ラプジャード 堀千晶/訳『ちいさな生存の美学』(月曜社)より)

 

霧と回顧の日だった。

午後の半日、私はずっと家にこもって、古い歌に聴きいっていた。

ウィリアム・サローヤン 関汀子/訳「はるかな夜」『ディア・ベイビー』(ちくま文庫)より)

など、など。