ポテトチップスひと皿夜の卓上に置かるるただの物体として
すり傷おほきコップにて飲むワインゆゑ視えてくるものあるやもしれず
しんしんと深海にただよひゐる水のさみしさにも似て“自由”といふこと
柚木圭也『心音(ノイズ)』(木阿弥書店)
とってもかっこいい。痺れながら、何日か読んでいる。長く頭がざわざわしていて、歌集で最近読んでいたのはこの本だけ。とても落ち着く。
食べる、いただく、盗む、汚す。何度か読んでいると、生きることは罪と深く関わることなのではないですかとしんしんと問いかけられているように感じてしまう。胸に手をあてる代わりに読むのがふさわしいように感じてしまう。
私たちは多くの場合、目の前の世界を「視る」ことによって必死に「視ない」ことをしているだけなのかもしれないな、と思う。自らがあらかじめもっている罪をごまかそうと、逃れようとしているみたいだ。「視る」ことから漏れたもの、はみ出したものを〈思い〉という〈肉〉として、歌の骨格のようなものに編み込んでゆく手の感じ、重たさ、繊細さ、熱さ、不器用さに胸がぎゅっとなる。