日記

とみいえひろこ/日記

2023.10.14

「由宇子の天秤」春本雄二郎/監督・脚本・編集。図に描いたらいったいこれはどんな感じになるだろう、円になってすべてここに戻ってきそう、とも思う。

・出会ったら私たちは別れられない。誰も私の一部になる。

・最後のシーン。自分にとっての真実(自分が拠って立つもの、真実と思うこと)を告げたのは、自分がほんとうのことをいっても相手はゆるしてくれると思っていられるから。受け止めてくれるとまでは思っていないかもしれないけれど、相手のやり方でなんとか流すなり処理しきれる範囲である、という信頼(「甘え」)の基盤があったということ。自分が自分の真実(秘密)を明らかにしてもゆるされる、生きていられる、と思っていたから。その信頼(「甘え」)は、告げた内容(由宇子が内面にとりこんだもの、父、父の目を通した母)からかつて受け取ったもの。

・言葉(社会とのつながり)を獲得していないものの言葉があって、駆け引きは頻繁に仕掛けられ、行われている。

・展開、前に進むには、天秤という葛藤が必要。

・なんだよ、あなたもかよ。という言葉。私の思う言葉と別はの言葉ばかり使う子。がみつけた「つながる」、つながってやる、ギリギリのライン上の言葉は、ぽろっと出たこの言葉だった。この諦めでもってこことつながっていた。諦めでもってつながることだけはゆるしていた。

 

 

 

ごく私的な思いとしての、「故郷」に対する思いが書かれた文章を読んだ。「ごく私的な」と念押しされ、恥と罪の思い、苦い何かがあることが書かれる。愛憎というけれど、たとえば思慕や愛と呼ばれるものは、その恥と罪に加え、そのほかの複雑な思いを雑然と含みこんだものなのかもしれない。それら雑然としたものそれぞれを〈ゆるす〉はたらきを持たせ、棚上げにしておく、宙吊りにしておく意味で、仮止めされているのが故郷や思慕や愛という言葉、ということでいいのでは。

「ごく私的な」ことでしか、私たちは理解しあえず、生きられない。ごく私的なことしかない。そこでしか伝わらない。にもかかわらず、漏れ出ていくもの、排除されていくものがあって、〈ゆるされる〉とされているものだけがいつも伝わってしまい、何も伝わってゆかない、ということばかりだから、念押ししたのだと思う。

敬う、尊敬する、ということの意味合いは、かつてつながっていた基盤から剥がれたひとりきりの私が、拠って立つものを探すうちにさまざまな時間のなかで持ってしまった感情や思いすべてを、この相手に見られても、打ち明けても、持っていても、お互い大丈夫だろうという、複雑さの極みたいなものなのかもしれない、と思った。

 

「感じがある」と告げたまう声のあたたかさ白木蓮を過ぎりしように

山下泉『海の額と夜の頬』

 

 

いつもと同じように、後半、やっぱりなってしまう。しかし、少しずつ、じりじりと分かってくる。剥がれてくる。なんか別の層の問題をこちら側だけ裸でさらしているようで、それはそれでもう持っておいたらいいのではないか、向こうにとっては問題ないのではないか、というところの線をさがす。はじめからこういう遊びをしますと教えてくれたらいいのに、と相手になすりつけたい気分が漏れ出る。ほか、細かいこといろいろ。私がもつ同じ構図なのか、など。

 

ウィリアム・トレヴァー 栩木伸明/訳『ふたつの人生』、篁一誠『自閉症の人の人間力を育てる』など。