日記

とみいえひろこ/日記

2024.01.27

毎日、限界まで仕事していると思う。実際はそうでもない。記録のつけ方をいろいろ試すのは楽しく、自分なりに、ほんとうに、少しずつ、地に足が着いてきたり心もとなくなくなってきたと分かる、でも、もどかしい。本日中にお送りするものを深夜にお送りして、今日は早起きだった。今は、1週間に1日くらいのペースで燃料が切れる。休んだら戻ると知っている。それを待つ。無駄に感情が動くこの感じも、ゆるやかになっていく。

 

『アレノ』越川道夫/監督。このひとの見方や様式にすごく惹かれていると思う。観終えて動けなくなるから観るのに思い切りがいる。動けなくなり、終わりまで観たのに観たものがふわっと消えてしまった。

消えてしまって思ったこと。

待っていると思っていないと辻褄が合わないことにしている、ここにいるものみんなで。ということ。待つのじゃない、すでにここにいる、ある。これはわたしの問題だと認めるまでの時間はとっても無意味で残酷だけれど、無意味で残酷だという意味はある。ということ。憐れんだりかわいそうだと感じたり内面に踏み込むことは愚かで失礼なことだということ。

語らないもの、とみなされているものの響きや嘆きに応じるやりかたを自分が身につけていると知る。それぞれにそれはあって、動物のように美しい。身を震わせることで、何かを背負わされみなされているものがくちをひらく。

 

暗くて苦しくて、辛くて恐ろしい……もうなにも聞こえなくなっていた。圧力が胸と頭をパンパンにしていた……私はどうなるのか? その時、ピアノ音楽のあのくだりが降りそそいできたんです。私はアーアーと声をあげることができた……

 

むしろあれが終った時から「サクラさん問題」として始まったものがある。おれは、それからは逃れられない。

 

サクラさんという女性は、特別な存在になるほかない仕方で生き延びてきた人だ。

 

イーヨー、えらいねえ! といって頭を据え直してやる自分が、永遠にこれをやっている、これをやっている瞬間、永遠の時を生きている、と感じる……

私がいま物語の「現在地」に戻ろうとして、先の章までの三十年前と、書き継ぐ「現在地」とを地続きに感じるのは、日々味わっているこの永遠の時の感覚があるからではないか?

 

大江健三郎『美しいアナベル・リイ』

 

きのう読んだもの。きのう読んだものを思い出す。