日記

とみいえひろこ/日記

2023.03.28

小さなギャラリーのメールマガジンで、案内がとどく。知らない画家の絵だけど、どうしてかとても惹きつけられて、これを見に行けたらいいなあと思う。見に行くのを春までの目標にしようかな、見に行かないだろうな、見に行くこともできる。と、お茶を飲んだりしてぼーっとする時間になった。

今日の提出に間に合わない、という頃合いが来て、それからはすこし開き直って夜の部になる。

選ばざるを得なかったとしても、ある表し方、ある症状、を曲がりなりにも選んだ「私の理由」がそれぞれにある、ということが大事なのでは、と、いろいろなことにかこつけて思う。ほんとうに人それぞれだけど、私にとってはそのこと(=「私には私の理由がある。それは、あなたと共有する言葉をまだ持たない。持ったとして、何をどのようにどこまで伝えるかを私のタイミングで決める」と、相手を拒みたい。自分のスペースに入ってきてほしくない)をしつこく求めていて、確認したいようだし、大事にしたいようだ。今さら、手遅れだからこそ。答えはもう消えてしまって思い出せないからこそ、今、心のなかに消えてしまった分のスペースを得てやっと。
最近、ウィニコットの本がおもしろくて読んでいる。心の中に「自分ひとりになれる空間」=余裕がある状態かどうか、ということが語られているところで何度も出会う。何度も、違う出会い方をする。遅れてやってくる空っぽの感じ、遊びの感じ。疲れがくたくたに張り付いて、やわらかい接点を味わう感じ。自分の内側で意味が変わってくる、変わっていく、ということが、大事なのでは、と思う。