日記

とみいえひろこ/日記

2023.07.22

優先順位の高いもの、ついにいちばん大事なことに辿りつけないで放ったらかしにしてしまう、いつも。それだけだった。

大事なものを大事にできるようになりたいと、それだけだった。大事にするそのやりかたは、自分に合ったやりかたを自分で見つけるしかなく、自分とその対象のあいだでやってみて、擦り合わせていくしかなく、分かっていくしかなく、「分からない」ことしか私は不安ではない。でも、全部のことが分からないながらに、自分に責任がそんなにないものについては、分からないなりに反応も見えるし何かがどのように進んでいるのが、すこし見えると思うし分かる、とぐらぐらしながら思う。自分が大事なことだと思っていることほど責任があると思う、から、分からない私がやるより分かる誰かが私をやったほうがいいんじゃないかと思ってしまう。まで、一直線に、スムーズにつながりすぎることに、何か自分のなかで立ち止まったほうがいいことがある。責任逃れをしたい思いにかられるようなそぶりをするというような、自分に対するある演技があったり、逃げられるかもと夢想したりするふりをすることで逃げることができていることがある。

 

 

私は二つが交わる地点(croisée)にいる、ようやく心安らかに、ついに私の場所として。というのも、私が交差した状態にある(croisée)からだ。

フィクションを書くことで私は自由を感じ、自分の追放された身(exil)に支えられている気がする。この唯一の、孤独な、荒々しい場所に私が存在するのを誰も止められない。

 

レイラ・セバール(石川清子『マグレブ/フランス 周縁からの文学』(水声社))

 

ついに、と口にしたら気持ちよさそうで、もう、ほかに何にも残っていない、ということしか思いつかないときに、ついに。