日記

とみいえひろこ/日記

2023.06.24

コンビニで見かけた「あまから手帖」の表紙のプリンがあまりにおいしそうで、プリン買って食べた。今日もいちにちがんばろうと思う。電話(アラーム)を寝室に持っていかなかったら、すごい寝てしまった。きのうも眠くて眠くてたまらなかった。部屋に眠りに行くとき、Iさんのことをいつも思い出す。中年になって、眠くて眠くてその人と同じことをしている。Iさんは薔薇を育てていた。Iさんは私を憎んでいた。と、私は感じていた。憎む、といっても、仮にそう言ってみただけで、何かいろいろな感情の残りを、私に見せていた。残りの感情を向ける場や時間。そのように、IさんやIさんとの関係を思いたい私。

ホモ・サピエンスの涙」(ロイ・アンダーソン/監督)

ものごとはそれだけを観てそれだけを読むもの。時間をそれにかけること。それに見合った時間を、それに見合ったやり方で、なんとかして。今はそれは無理だから、と、ぜんぶ、何かしながら、流し見、流し読みしている。ほんとはこうすべきじゃない、これでは何も入ってこない。にしても、いい映画だった。いきものが、それぞれトラブルを抱えていること。それはどうにもならないこと、ときに混じり合うこと。トラブルは抱える私に応じること、私をよく知っているということ。私は露呈するということ。昔、小さな事務所に通っていたとき、地下鉄階段を上がるときに毎朝見かけていたすごく背の曲がった老人のことを思い出した。ふいにある日見かけなくなった。事務所の先輩と話していた、と思い出す。銀座線の狭い階段。

きのうは長く資料を見ていた。私の駄目なところは目の前のことを大事にしないところ。不安になってほかを求め、どんどん詰め込もうとする。いかに、何度かに分けて、見直して、修正を入れて、やり直していく回数をとるかということに気をつけて工夫できるかだと思う。定着させる力が弱い、といつも思う。ばっと作業したものをiPadで撮って、赤字を入れて自分に返す、ということをしていた。こういうのを何度繰り返せるかがけっこう大事、と思う。

提出したあといつも、縋りついて取り戻して謝りたいような、もう捨てられるというような気分にもなる。その繰り返し。

竹村和子『彼女は何を視ているのか――映像表象と欲望の深層』(作品社)

このひとの書いたものがとても好きで、これはいくらなんでも高くて図書館で借りたもの。ほかに座っているそばの木箱に入れている本、本置場に置いている本がある。