肩こりで目と頭に空気が入らない感じでなかなか進められず。ものもらいができそうな時期で、整体にいったりした。自転車で梅田に出て、帰りにカフェの奥まったところで本を読んでいたら落ち着いて読めて、泣きそうになった。曲の音が大きくて、進めようと思ったことはそんなにできなかったけれど、久しぶりにここに来た。帰りはつよい風と雨。最近は急ぎではないものは少し余裕をもった納期にしてもらっている。もう少しちゃんとやっていくために、という目的があって。でもまだ、結局ギリギリになってしまう。
村瀬嘉代子さんの本。コーヒーを切らした。
何、何、何、を書くことが積み重なって、どのように、どうやって、どんな、がいくつか現れる。いくつか現れることで、「どんな」は無数にある(はず)だということが、見えずに見える。時間や制限が生まれたりする。アニー・エルノーの文章を読むたびに見えないことや背景や影を感知させられて、行き来が生まれる。書き込んである、私と私の。私でないものと私でないものの。昔と今の。などなど。