日記

とみいえひろこ/日記

2023.08.25

「ソウルに帰る」ダヴィ・シュー/監督。

はじめから言葉は伝わらないものとしてあった。

色について。濃い紫、うすい紫、汚れた紫。いろんなものが混じってそうなった紫。フレディは紫ばかり身につけていた。何年か後、黒に近い赤が顔を出す。唇の色、声の色。どぎつい赤。

それからさらに何年か後、赤が剥がれて。青い、もうひとりの相手の色が印象的だった。赤い色の時間をフレディはどうにかくぐって、青い、優しい、もうひとつの色と出会い直す必要があった。何も知らないくせに、すべてが混じった私であった私を認める、そういう他者が必要だったのだと思う。

それからさらに、さらに何年か後。色が抜けて、白い光、草の色。混じっても全部を身につけるものにしない器用さ、あきらめ、時間を得る。

色が抜けて失って、ひとり語るための席に座る。はじめと同じように、言葉はずっと伝わらない。色を脱ぎ捨ててきて、何もなくなって。裸の音と、ひとりで語る時間が少し、あった。やっと納得がいって、ほんとうにそう思って伝えた言葉は伝わらなかった。ほんとうにそう思った言葉はフレディの内がわにとどまり、響りつづけるだろう。

母親と再び会うシーン、手で会う、寄せて返す輪郭で会う、ここの描き方もすごいと思った。

 

 

思えば、はじめのシーンで。知っていると思っていながらぜんぜん知らなかった、何も。最初に彼女が席を振り分けたとき、彼女自身が座る席はなかった。

 

 

ぜんぜん、なんにも、納得いっていない。なにひとつ納得いっていない。という面のことを思い出し直そうとしながら帰った。