なんとはかない体だろうか蜘蛛の手に抱かれればみな水とつぶやく
またひとり歩いて帰るという君が必要とするいくつかのさなぎ
ほおずきを口にふくんで彼女の子ばかりがいつもここにきている
泣いたっていいんだよって泣いていた義弟があの橋渡り来る (義弟=おとうと)
あれは消す音ではなくて灯す音ではなかったか こいびとはいう
土井礼一郎『義弟全史』(短歌研究社)
長く積んでしまっていた全史。薄い、つかみどころのない、謎のようなこれが義弟の全史という。誰の義弟かといえば、放ったらかしにしてしまっていた私の義弟の全史で、読む自分に託されてしまったと思ってもいいし、そう思わないのも自由。私がどう扱っても、義弟は否定したり怒ったり悲しんだりしないだろう。するかもしれないけれど、私に影響ないようにするのだろう、私もそうさせるのだろう。お互い裏で手をつないで。
私もまた、狭い、小さな、どこにでもある、簡単には抜け出せない穴に落ち込んでしまっていて、ここに記されている君も彼女の子も義弟もこいびとも知っている。蜘蛛の手に抱かれれば水と私もつぶやくだろう、凡庸な、みなと同じ私。
・いくつか、その小さすぎる体に対して持ちすぎている分が、はみ出してしまう。さなぎもほおずきも涙も灯もそう。持ちすぎた分をしまいこんだ分、さなぎがほおずきが涙が灯がはみ出してしまう。
こちらからは丸見えで、そのはみ出したものに心奪われてしまう。はみ出させたのはおまえだと、持たせすぎたのはおまえだと、小さな体を抱える者から責められているように感じてもしまう。
・理解し合わず、できるだけ奪わず憎まず、ぜんぜん違う何人かの人らがあつまって生きていくなかで、はみ出すしかないものをどうしよう。何度も何度も聞いた音だったのにそのときはさっぱり分からなかった。消えたと思っていた音をずいぶん経ってから思い出し思い直すような、こいびとが後からそう思うのを聞いているような、それくらいの遠さにできるだけ確からしい言葉をしまっておこうとするための文体のようにも思えてくる。はみ出すしかない者自身がはみ出させないようにしまおうとしているものだけは守れるように、小さな体の秘密だけは見ないようにしながらも、はみ出しあぶれていくものを放っておかないようにつなぎとめるための。
・私のすごく好きな粕谷栄市の文章をはじめて読んだときのような、頭がどこかにめりめりのめりこむような怖さやへんな懐かしさを感じながら、何かをこぼしてしまいたくなくて急いで読んだ。