日記

とみいえひろこ/日記

2024.02.18

見ていて(見えずにいて。見る落ち着きや時間や、力のなさから出られないという実感にとらわれる、そのなかにずっといて)最近思うのは、

・しない時間、できないでいる時間、黙る時間、何も進まない伝わらない分からない時間、経過こそ大事だというところを見たい。どう見たらいいのかな。

・伝わっていること、伝えることができていることは、あくまでそのルールの範囲のことということ。伝えられる側のもつ役割の範囲のことということ。そこを自分が理解していく道すじもまた大事ではあった。自分の境界線を知るというより、相手の境界線を知っていく道すじ、と思うと私には理解しやすい。その範囲は想像していたのとはかけ離れている。

・「よく」生きるとは何か、という話を短い時間した。「よく」にしても生きるにしても、生きざるを得ないなら、それはすべて外部のためになされることなんだと思う。目の前にたまたまいるもの、手の届く範囲にたまたまあるもののために、どこまでも奉仕することが本来なのでは、と思うと納得がいく。内面のため、自分のため、というものは何もなく、理由もなく、(内部が内部に対して)唯一求められる/求めるのは、受け容れること、在ることだけなのでは。唯一、何も理由や意味を問われない場所として、「よく」生きなくていいと認められる場所として、内部がある。

・見ていて、とはじめに書いた。鎧として前提が必要で、前提がある時点でそこにとらわれていてずっと間違っている、消耗するだけ、ということこそが、すごく多いと思った。

 

『生のあやうさ』、『他者の自伝』、トレヴァー『アフター・レイン』など。

 

気になりながら溜まっていく書類をクリアファイルに入れ、時系列でいけるところまでいき、まとめてなんとかする。ということにした。