日記

とみいえひろこ/日記

2024.02.20

最近はすこしだけ離れたところへ買い物に行くから、考えのつづきを何度も戻って考えなおす、噛みしめなおす時間が増えているのかもしれない。自転車を漕ぎながら、信号待ちをしながら。

二月というのにあたたかく、だから涼しく感じたりして、なんでもありでなんでも起こる、くらくらするきのうの実感の続きにいたりした日。予定がつまっているからと構えていた分、余裕ができてぽかんと時間ができた。から、涼しい空気に、さびしさを掻き立てられる。誰のものでもないさびしさ。

確定申告の作業を始めたり、ふりかえりや確認の時間を持てたり、一日置いて明日決めることを一日の間で何度か考え直したり、意識的にした。一緒に準備する時間をとれるようになってきたと思う。今日のような感じの時間の流れ方が、1年に数回あると思う。

ゆるされる範囲はほんとうに広く、ただ、それは、ゆるされるというのとも違って、見逃されることがほとんど、ほぼすべてくらいなんだなということや、だからこちらがこちらの都合や考えで線を引いたり決めるんだなということを思うようになった。なんだったんだろう、何の意味もなかったな、とも思う。また、そんなものなんだとも。

 

小西真理子『共依存の倫理』、山田詠美『肌馬の系譜』、『家族の現在』など。

たとえば「症状」が「内面」や「関係性」をつくりこんでゆく、つじつまを合わせていく(誰にとっての?)。明らかになっていることや名前がついていること、理屈が通ること、見えていること。それらの元には、誰かの何かの目的や必要がある。ということはおさえておきたい。いつもあまり、ほとんどしっくりくることがない、何にも。この感じはわたしはわたしにおいて錘としてそのまま荷物として引き摺っておきたい。

 

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