日記

とみいえひろこ/日記

2024.03.21

日にちの感覚がずれているのは、洗濯物をまわすタイミングが何周かずれていっているから、というのも大きい。ゴミの日の感覚ともずれる。自分の体の経験で日にちの感覚を理解して呼吸しているのだとわかる。ヨガは呼吸でカウントする。自分の呼吸の物差し、カウントするための軸を複数つくっていく、という意味があるのだと思う。

ずっと、自分がわかりたいのは、受容と抵抗のことだと思う。理解する、ということは、外からでなく、内がわから経験を通して理解じゃない理解を「やっていく」、使い果たしていく、編み出してつくりだし捧げていく、ということだと思う。受容のしかたを複数独特にみつけていき、響いていく、響き返していく立場にいる、ということ。終わらない、そのさまに立ち会う無口な観察者、証言者であるということ。