眠くて眠くてぜんぜん動けず、今日も何もしないでいようか迷ったけれど、5、6倍くらいの時間をかけてでものろのろ作業してみた日。自分のやっていることは作業療法みたいと思った。
きらいなこと、したくないことなら私は分かる、その逆のものにくっついていく感覚が薄いなあと思う。
結果がどうであれ準備しておこうと実際に動きだしたのがほんの数日前、まだかもしれない。ものごとを直接受け入れていく自分のペースが自分で分かっているといい。直接ではなくてもどんなルートをたどってでも受け入れることに向かっているのだから、ほんとうに無駄なことに関わることをできるだけ減らして自分が自分を待つ時間を過ごせればいい、と思う。
こういう状況をめぐる技術や社会的な感覚の変化はすごく早くて、それぞれの事情や癖があるにせよ、今なら受診までにこんなに自分を引き延ばさないと思うし、こんな「無駄な」苦労をしないように思う。考え方も道のりもぜんぜん違うし、こんな機会がないと出会わなかった、でも、出会うことはこういうものと思う。自分とは違うけど分かる、こういう行動をとるのはよく分かる気がする、と思って読む。名前や枠組みや、自分の手の及ばないものになんとか抱きとめられながら、人やものごととの関係を編み直すことがときどき起こる、ということについて書かれていた本だった。口ずさまれていた荒井由実の歌がめちゃくちゃいいと思った。
「障害受容」という言葉はその言葉を言う側のものだとやっぱり思う。