日記

とみいえひろこ/日記

2024.04.13

・わたしは先生を欲しがっているみたい、さまざまな折に。肉体と精神を整えて求道的な生活に身を捧げることをできるところまでできるなら、目の前のごちゃごちゃしたことはすべて平らかになるべきようになるはずだ、という大ざっぱな目論見を持っているみたい。

・音楽は空間や時間、自分との距離、場面といったものに近いのかもしれない。おそろしく渋い曲を聴いているのでびっくりして、そのひとの聴き方に引きずられるように眠いけど少しそばに行って聴いていた。音が途切れずにさまざまなつながりかたをずっと続けているのを聴くのが好きなのかな。きのうそのシチュエーションで聴いていたのはすごくよかったと思ったのに、今朝同じ曲を自分ひとりの部屋でかけたらやっぱり耳をとられて全然違う感じになる。

・同じひとつの名前のついたものを見ている。それぞれにまったく別の役割、目的を背負っているため、同じ場所を見て同じことを話しているのに、話も噛み合っているのに、どこかが決定的に、絶妙に、噛み合っていない。そのうちどちらかが勝たなくてはいけなくなり、どちらが勝つかはあらかじめ決まっている。片方は何を言っても勝つほうの理屈で解釈されるのが見えている。いつも、置き去りになるのは名前をつけられているそのもの。わたしは「それ」をめぐって食い合う片方の側にいる。「それ」は志向性をもつ。志向性だけはもつ。

 

『王朝の性と身体』、『発達障害の精神病理III』、『小林秀雄の論理』など。