『草の響き』斎藤久志/監督。人の何かをその最後まで見なくていいし、見てもいいし、見て何があるというわけでもないし、人に人が何かすることはできない、ない。分かっておかなくてはいけないのは、見て何かあると期待して見続けるのはよくないということのみ。捨ててもいいし、捨てなくてもいいし、捨てたと思ってもいいし、どこでやめてもいいし、やめなくてもいいし。ふたり、では行き詰まるのだ、いつも、必ず。答えが出過ぎて、行き詰まる。友人が出入りしたり、赤ちゃんが産まれようという間際だったり、なんとか三者関係に持ち込んで大人になりバランスがとれてゆきそうなところでやっぱりいけなかった。もう一方の人間関係でも三者だったのがあっけなく二者になり、ばらばらになってしまった。ひとりひとりの抱いている欠けのかたちや大きさ、断面のテクスチャによって、なかなか関係が築けず生き難くなる。ここの痛みが描かれているのだと思う。
でもずっと、ふたり、ではなかった。黒い犬が何も言わずにいつもいたのに。いたのに、とも思う。犬は三者関係をかたちづくるような影響を与えられなかった。犬だけはいつもひとり、いてもいなくても何も変わらないようだった。ふたりにとっても、犬のなかでも。ただ、ふたりが、ひとり、ひとり、に戻るとき、ただいるだけで何も変わらない犬がいたから、ひとりひとりが答えを出せたのかもしれない。
俳優の顔、動き方、俳優の演技ってすごいなと思った。