日記

とみいえひろこ/日記

2023.09.06

ドナ・ウィリアムズはいつも目の前にいるもの、ものごと、状況……のなかの聡明を見る人だと思う。聡明はそのことで引き摺り出され具体的になる、動きはじめる。目の前にいるものというのは向き合っているもの、目の前にいないかもしれない、向き合っているもの。

そのひととその場所で話すとどうして空っぽになるのか、奪われてばかりという気になるのか、嫌なものばかり残るのか、そのひととその場所で話すとどうしてつづきをひとりの場所で話しつづけるのか、取引が成立してプレーンな状況だと感じられるのか、そのひととその場所で話すとどうしてとても受け取れないと思うのか、入ってこないでと、もう何も渡すものないしもともとないからとと苦しくなるのか。どうしたらどうなるのかな、と思うけれど、もっとぱきっと大胆に「どうしたら」をやっていくことかなとふと思う。そのように試せる余地が、いったいどうやったら生み出されていくのか、というところをずっと見ようとしているのだと思う。

ここ最近見ていて、条件が噛み合ってきて、目に見えるかたちに動いてきた、と思う。そういう時期がある。でも、こうなることはすべて分かっていた。具体的には分からなくとも。じっと動かない時期に何をどうどこまで見ることができるか、どう関わるか、ということのほうが大事。

苦手なこといくつかつめて、ざわざわするのをおさめて休憩して午後やることをやろうと思いつつ、結局力尽きてほとんど何もできず。が少しつづいた。

 

ドナ・ウィリアムズ 門脇陽子 森田由美/訳『ドナ・ウィリアムズの自閉症の豊かな世界』、姫野カオルコ『風のささやき』、ディヴィド・ヴィンセント 山田文『孤独の歴史』、カーソン・マッカラーズ ハーン小路恭子/編訳 西田実/訳『マッカラーズ短編集』、『大江健三郎自選短編』など。