日記

とみいえひろこ/日記

2021.04.23

どこかのスイッチを切って瞬時に反応すべきしごとと、終わりがなくて長いしごとのほうに近い仕事、抱えるものそれぞれが極端になってきた。きっとこれからもっと家のことが入ってくるだろう、自分ができるのはあと何年、あと何年だからその半分、と思う。できるためにものごとを自分に詰め込む時間もない。

選ばざるを得なくて、でもやっぱりたしかに自分で選んでいる、ということについてすべて納得がいっていて、とっても楽しい。きちんと自分から納得してやるしかないのだというのを含め、とっても楽しいはずなんだというのを含め、なんで、なぜなんだ、というのを含め、納得がいっていてとっても楽しい。

ぎりぎり、自分が絶対にやりたくないことはやっていないと思う。やっと選べる段階に入ってきて、そちらの方向にいくしかないことがあると思う。まったくぜんぜん力及ばずで破裂しそうになる。毎晩、毎日。

 

彼の書いたものを読むのに何年かかったんだろう? 私がそれを気に入ると思ってわざわざ買って渡してきたのを、なんとなくずっと覚えていた。

渡してきた本自体、その作者の書くもの自体は、私も好きなほうだと思う。ただ、その人にそのタイミングで自分のものを選ばれるということに反発があった。私はほんとはそういうのは嫌なんだよと感じてしまい、どうしても嫌で、読めずにどこかにやってしまった。あとにも先にも、その人がああいうふうに、私が自分で選びたいと感じているもののエリアに入ってくることはない。

その作者の別の本を、なんとなく気が向いてきのう読み始めた。

買って渡してきた本人も気づかなかっただろうけれど、あれはやっぱり本人が〈自分を〉読んでほしくて渡してきたのかもしれないと思う。私がそれを読むべきだと感じて、無自覚に、〈自分を〉ひらいて渡したのだと思う。

というふうに思ってみるほうが今の自分に都合がいい、効率がいい、自分が答えだと思う答えに近づけるのかもしれない。どの本をその人が買ってきたのかは忘れてしまったから、その人が私に読めといってひらいた場所にはたどり着けていない。その人のなかの、さらに書き手のなかで連なっている場所に、わたしが自分で選んでたどり着くなりたどり着かないなりできる。もう遅いけれど。