日記

とみいえひろこ/日記

山崎聡子『青い舌』

目をつむってものを見るときに温度が手がかりになる。青い舌は目でものを見ないときに使う目であり、ものをいわない舌でもある。そことここを行き来するのが舌なら、赤い舌よりも熱く抽象的な青い舌は、そこより遠く、ここより近くを分け入り行き来することができる舌。

食べものを運ぶ、言葉を運ぶ、ひとつの関係性においてひとつしかない母語を運ぶ、青い舌はもっと遠くに、近くに、それらを運ぶ。ときどきはみずからの熱を冷やすためにひらひら外の空気に触れに行く。

 

わたしのもとに子どもが現れる。それはわたしのもとに逃れられない未来が現れることであって、わたし自身もまた、わたしを産んだり育てたり関わったりするひとのどうしようもなく未来であり未来であったという過去を知ることだろう。

そことここをつなぐものに絡め取られるうち、もつれるところから逃げ口を産むために青い舌という存在が編み出されるのだと思う。

 

ごめんね、という言葉ほどどこへもいかない、どうにもならない言葉はないのかもしれない。そういう、どうにもならない言葉をめぐることばを青い舌は歌う。

どうにもならないことと、どうにもならないことを待つような時間は両立する。奉仕と憎しみと虚しさも両立する。どうにもならないことがあたたまり、奉仕や憎しみや虚しさが溶け合う。言葉でできたものから手をほどくにはともかく力がすこし必要で、順番や方向が多少間違っていてもともかく意思が必要で、力や意思は実はたとえばバスを待つ小さな時間に、色のない爪を翳す時間に引っかかっている。青い舌でならそれらを舐めとってねぶることができる。青い舌はただの言葉でここにないお守りのようなもの、または不幸の手紙のようなものなのかもしれないけれど。

 

 

 

わたしはあなたにならない意思のなかにある淋しさに火という火をくべる

 

北を指す煙草もなくて色のない爪ゆらゆらと翳していたり

 

手をほどく わたしのうちの風穴を埋めていたのはそれだったのに

 

廃車にさがるむらさき色のお守りの持ち主この世にいない気がする

 

薄いタイツはいてしゃがんでオイルくさい風に当たっている駐車場

 

バス待てばふと外国がよぎること体臭の濃いひとりとなりぬ

 

 

 

『青い舌』 山崎聡子|現代歌人シリーズ|短歌|書籍|書肆侃侃房