日記

とみいえひろこ/日記

2021.12.27

愛しのアイリーン」(監督・吉田恵輔/原作・新井英樹

小さな異物であろうと、なんでもない異物であろうと、とにかく異物をどうすることもできず自分のなかに抱え込んで共存していくしかない状況や自分自身に誰もがぶち当たり、その誰もが無様な姿になっている。どうすることもできない、どうしようもない。ぎりぎり犠牲を負わせられるところに犠牲を強いて生き延び、どんどん無様になる。自分が周囲にとっての異物であることなど、本人がとうによく知っている。

生き延びて命を持続させることが無様さや愚かさを再生産しつづけることであるなら、それに抗うことなどできない自分であると認めるなら、がちがちに縛られもがいてよじれるなかで差異を見つめ見つめて逃げ場や隙間が生まれるのに賭けることはできる、そこに希望をもつことはできる。

 

もうひとつ、これを観る前に観た映画があった。異物を見極め、噛み砕ける異物だけを取り込んで、でもやっぱり自分の好きな世界だけでかなしんだり切ながったり、生きていることを実感している、そのさびしさや苛立ちが残る。日常に戻る。あんまりいいと思わなかった。でもこのことこそが必要な状況があることもわかると思う。

 

「受け容れる」と言葉にすればそうなるけれど、その実態は、状況をみて自分にできることできないことを分け、ぜんぜんできないのだと希望を失いながら恥ずかしく情けなく愚かに残酷にじりじり進んでいくことだと思う、といつか一度、思ったことが、言葉にすればぱっとなくなってしまう。