日記

とみいえひろこ/日記

2022.01.26

何度か、捜しに行ったことがある。最初は走って捜す。間に合わない、今はここにはいない、と分かったら、彼の速度を思いながら、歩いて捜す。わたしの速度でもなく、彼の速度でもない速さで歩く。わたしの時間でも彼の時間でもない時間を。どのルートを辿り、どこに行ったのか、目的地はないのだろう。とにかく歩いて、あらゆるところから姿をくらますことが目的だったのだろう。遅れをとったわたしは彼の速度より少し早い速度で歩く。この速さで追いつかなければ、彼はまた次の場所に行ってしまう。

見つけようと思っているうちは見つからない。諦めて、当面の予定をキャンセルする。あとから追いついて見つけようなどという目的は叶わない。捜すというなら、捜すほうも自分がいる場所をキャンセルして、自分の場所から姿をくらますという条件が必要だった。

差し出せるものを差し出していく。それでももうとっくに終わっているのかもしれない、と思いながら捜す。終わった気配もわからなかったのなら、もう終わっているのだ。彼の足どりを確かめることが目的になる。持っていたいろいろなものを引き渡していく。負けと勝ち、どちらがどちらなのか、入れ替わる負けと勝ちを考えながら、自分が知らない場所に捜しに行くことになる。勝ちも負けもない、などというのは無し。勝つか負けるか、終わるにはどちらかの状態になって終わるしかない。

わたしが知らない、ここに似た場所を彼はたぶん歩いただろう。目のすぐ前だけを見て。どこでもいいと思って選ぶときに選ぶ場所、自分ひとりにかえるときに当たり前のように彼が選ぶ場所はここだろう。外から来た者にはこの場所はうるさすぎる、不快すぎる、危なすぎる。わたしならここに五秒もいられない。やっぱり生きてきた場所が全然違うんだと、見てきたものが全然違うんだと思い知りながら捜す。もともとこんなふうになったのがおかしかった。負けたら終わってしまう。自分が負けてももういいと、思うのを待つような捜し方になっていく。