それはもう決められているけれど、それしかないので
受け取って、あるいは見て、読んで、意味づけを自分のなかだけで、自分たちのなかだけで、内側からつくること、紡いでゆくこと
は、止められていない。
このことと、
このことと、ここからいつものこと。紡いでゆかれてしまうものを受け取ってしまう者がそれを、異物だとして受け取ってゆけるかどうか、今どんなところにいるんだろう。
というところ。
受け取るという行為がとても、抵抗なんだなと思うことが多い。今日も思った。言葉にしようとすると、そういうことなんだと思う。
もう大丈夫ならここまで伝えることはないのかもしれない
とそろそろ思う。乗り越えるために仮に決めた感情を、字義通りに受け取らせてそれをどうにかしようとしているのではないように。よそで勝手に、こんなに決められて、そのひとはどうなんだろう。どこにもいなくなってしまったのかも。