日記

とみいえひろこ/日記

2022.02.01

幅のない、1つの関係性の持ち方しか知らないで大人になったとして。

「人と関係を結ぶ」ために、手持ちのたった1つの「関係性の持ち方」という蝶番を経ることで、自分が上の立場になったときに、自分が蝶番の反対側にいたときに持っていた感情が、裏返る。そのときに自分が感じる感情が子どもに向かうことの危機感を、自分で自覚できていなかったところに、漠然とした不安感があるのでは。同時に、本能的にその危機感は感じてはいたから、出産前後の自分の症状としてそれを表すことで子どもに直接向かわないようにしていたのでは(結果、子どもを追い詰めて今このようになっている面がある、というところを、もっとよく見たい)。
「1つの関係性の持ち方しか知らない」のは、愛着の対象である親のせい、とかではなく、まずわたし自身の「自分の感覚に対する興味」や母親父親それぞれの歴史、など、など、が絡み合うなかで、自分が生きやすい方法をその場しのぎで選択し、積み重なった結果ゆえのこと。
こことは別の場所に身をおいて、別の関係の持ち方を獲得する「遊び」を「発達」というのだとして、そのなかで創り出される/創り出す時間が今になる。今のなかにある未知や既知を経験して行き来する/させるのがわたしひとりの身体。