日記

とみいえひろこ/日記

2023.09.30

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』、押見修造『血の轍』第17集、エストラーダ恵美『私の母は知的障がい者:知的障がい者の親を持つ子供のための本』、芹沢俊介存在論的ひきこもり論』『引きこもるという情熱』、ファン・ジョンウン 斎藤真理子/訳『誰でもない』など。

往路、滞在、帰路。自分の、行って帰ってくる、がちゃんとできないと、何度も何度もはまってしまうし、身代わりにさせてしまう。分かる。/「介護」は終わりがあるんだ、ある程度先が見えている。と思う。でも、それはもう少し長い目で見たら「子育て」も同じこと。「知らない」、「どこまでいけるかわからない」、そこだけが違うし、でもそこは誰もどこもいつも同じ。/自分の見たものに対してどう責任をとって「真実」さんや「倫理」さん、生と死において大事なものに向けて自分の存在や生き方を納得してもらえるように生きるか、応答するか、捧げることができるか。それだけのことなのかもしれない。私は今はそう思う。

この世界の片隅に」を人と観た。この人が描かれていない、この人の声は描かれていない、とたくさん思う。どこから誰が観るかによって、どこがどう描かれていないと思うかが違うだろう。描かれていないところを、リンさんに、座敷わらしに全部背負わせていたのではないか、託していたのではないか、と思った。いつも、そうで、背負わせ過ぎる。/絵を描くことは、自分のものの見方を、自分の目に見える範囲のことを、抱えられる範囲の自分の時間空間を獲得すること。

疲れが出たり、仕組みが変わってけっこう何も準備できていない危うさがかなりあったり。でも、良い機会なので、きちんとやっていくステップにしたいと思う。ずっと、いつも、どこにいても、ずるしているという後ろめたさがある。なんとか今目に見える範囲のことをやり過ごして形にしたりできなかったり、その積もり積もった、ずる。