日記

とみいえひろこ/日記

雪ふらずとも

シクラメン売れ残りたる店先の雪ふらずともほのかに明かし

 

 

残る側にいることは、明るい場所にいること。明るい場所を私が選び、残る力があってしまったということ。あってしまった、残ってしまった。という思いがどんどんはみ出すけれど、それでもやっぱりそれは私が選んだことだ。ということをこの先受け止めてゆく自分のための時間を約束されてしまうこと。約束してほしい、と望む力が残ってしまっていたということ、自分のなかに。

そんなつもりなかった、残されてしまった、と言えてしまうこと。自分が受け止めてゆく時間をくれなかった、自分の時間をくれなかった。という、もうどこにもいけない思いをどこかに残してきてしまった自分ばかりがはみ出し残ってしまっている、ということ。

雪はこのままずっとふらないかもしれない。それで、それがいいと思う。雪とは別の、思いもよらない雑多な光の重なりによってなにかが明かされてゆき、明かしてゆく時間がもう少しある。明るい、ということに意味はなく、残ったものがそこに意味を加えていく。

 

 

いろいろひと段落したら読もうと思いつづけていた歌集で、キリがないのでさっき立ったまま開き始めた。短歌なのだから一首一首バラバラに読めばいいのだと思う。『Sad Song』はほんとうにぱらぱらっと読み始めただけだけど、思いがけず重苦しい感じから抜け出せないのが長くながくつづく。

けれどこの、ひとつひとつ確認しながら苦しめてくるようなやり方から、読みすすめる私は這うような姿勢を学んでいく。半分足をぬかるみに入れながら、すごくゆっくりだけれど前には進む。やがてこの独特の進み方ぜんたいが自分のものだと感じられ、独特の気持ちよさに変わるとも知っている。こういうことはよくあることだから。

 

 

窪田政男『Sad Song』(皓星社