日記

とみいえひろこ/日記

2023.10.03

くちをひらいたら、ひらいたが最後、話しても話しても辿り着けないだろう。それじゃない、そんなことは大したことじゃなくて、と思いはじめる前にもう、どこかで聞いたことと同じことを話し出していて、黙りたくなる、戻って引き留めてぜんぶ最初から言い直したくなる、やり直せるものなら。はじまりから違っていて、どうにもこうにも、またこれじゃない。もういい。

 

ホン・サンス「あなたの顔の前に」がすごく良くて、できればもう一度観たいな。もうずっとこの同じ短い映画を観るだけでいいんじゃないか。雨に立っていたはずなのに、縋りついていたり慟哭していたり、はんぶんしんでいるようだったり、キラキラした夢に見えた、あのシーン。顔の前に灯るとき、真っ暗なものが照らし出されて、震えて。

 

彼らが私に書いてほしいと言ったのは、自分たちの体験した不正と苦しみを、世間に事実だと認めさせ、記憶に留めてほしいからだけではなかったことに。彼らは、すべてが起こる前のかつての自分たちがどんな人間だったかを認め、憶えていてほしかったのだ。人に真剣に受け止められるに値する人間として、個人として、主体的人間として。

 

こうして、彼らのレポートは時とともに、いつでも取り出して使うことのできる独自の既成の型を持つようになる。それはもはや、語り手に試練を課す語りではない。まだ変遷する可能性を持ち、語り手と同時に聴き手をも変えてしまう語りではない。物語はいわば凍りつき、それとともに、あらゆる感情もまた硬直してしまう。

 

カロリン・エムケ 浅井晶子/訳『なぜならそれは言葉にできるから 証言することと正義について』

 

抜き出すと、また違う、と思う。

「オオカミの家」、めちゃくちゃ怖かった。