日記

とみいえひろこ/日記

2024.01.10

今日はざわざわする日。ここ数日の期間は。

 

王子は女魔法使いのことを知っているのに、女魔法使いは王子のことを知らない。そのせいでラプンツェルは、女魔法使いに対し不正直にふるまっている自分を責める。とはいえ、実は王子に対しても不正直にふるまってきたことも認識している。敷布団の下に隠した梯子に、絹を継ぎ足すのをやめてしまったというだけではない。それよりもっとずっと悪い。

 

だがまだほかにもある。宮廷、王様、侍女、酒瓶、猟犬……どれも上手く把握できない、心の手で上手く掴めないのだ。

 

スティーブン・ミルハウザー 柴田元幸/訳「ラプンツェル」『夜の声』)

 

犬の地図、鍛えられていく。雨の後はそこここに埋め込まれている匂いがより表れてくるらしい。

たとえば雨の後、たとえばほかの場所で、たとえば別の軸をもって、わたしの目の前にあらわれているものを見る。何かに応じたいくつかのわたしになって。

何が問題で、どこを結末とするかがぜんぜん変わってくる。それくらいむなしいもの、はかないものに、いくつかのわたしが縋りつく遊びを繰り返す。

同じようなことをその場所が抱えているとしても、抱えられているそれらが、どのようにそれらの姿を表させ、誰にどのように見られて扱われることを決めさせるのがいいか、ぜんぜん違う。

何があって、どのように見てきたか、見るために何をつくり出してきたか。見るわたしがどこにいる誰なのかということによっても、ぜんぜん変わっていく。

 

カメラは発明ではなく、自然現象である。

カメラ自体が暗室という空間であって、だから、といっていいのか

カメラはこれに対して線と面は見ても、空間は見ない。

と書かれていた。

 

輪郭について。境界線について。

わたしの身体が終わるところからあなたの身体が始まるところの間にあるものも、わたしたちは見ている。

 

(デイヴィッド ホックニー 木下哲夫/訳『秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明』)

 

わたし自体が空間だとして、どこまでわたしの身体なのか、正解も間違いもなく、少なくとも正解はなく、延々と間違いをつづけることができ、それを自分にゆるすしかない空間だとして、どこまでも途切れない身体であってもいい。髪の先がどこに届いているのかも知らず、感覚もなく。

 

王子はまだ来ていない。窓辺は涼しい。夕闇の静けさが雨のように降ってくるこの瞬間の有難みを、ラプンツェルはしみじみと感じる。

スティーブン・ミルハウザー 柴田元幸/訳「ラプンツェル」『夜の声』)

 

 

高秉權 今津有梨/訳『哲学者と下女』、柏谷栄市『瑞兆』、松本俊彦 佐久間寛之 蒲生裕司/編『やってみたくなるアディクション診療・支援ガイド アルコール・薬物・ギャンブルからゲーム依存まで』など、など。