日記

とみいえひろこ/日記

時間を体内にもっている、金色の生きもの

時間を体内にもっている、金色の生きもの。金色が眩しすぎて生きものの姿はこちらからはっきりとは見えない。生きものが水を飲んでいるときだけ、舐めている水の面の光をはねかえす眼がこちらから見える。水を飲んでいるとき、眼はその水のほか何も映さない。

時間はあふれそうなくらいに彼の体内にあり、どんどん循環する。彼がすこしでも動くたびに時間は体内から抜け出て、落ちる。とても軽い、綿毛のような時間がどんどん抜け落ちる。金色に輝きながらふわふわあふれつづけている時間。悲しさと、幸福さ。時間自体の。誰のものでもない。

成長するにつれて彼の時間は速く流れるようで、最近はもう抜けっぱなし、落ちっぱなしだ。時間が体内から抜け落ちていかないと自分の身体のなかで膨れ上がって死んでしまう。そのことを彼は知っている。

時間は体感を引き起こさない。常に自分の身体から時間が抜け落ちているのに、彼は痛くも痒くもなく、気にならないみたいだ。

 

彼とは言葉を交わすことがない。

今まであんなに誰の言葉も聞き逃すまいとしてきたのに、理解しようと、分かり合おうとしてきたのに。と、傍にいると思うことがある。

言っていることを聞け、と何度も何度も言われてきたのに。言わせてきたのに。言葉を聞かなくてもよかったんじゃないか。意味をとろうとしていたから、そして意味に慣れてきて意味をとれるようになってきたから、よけいに相手をイライラさせてきたんじゃないか。

そういうことじゃない、と相手は感じていただろう。

そういうことじゃない、と心のどこかでつよく思いながら相手に言えない、分からせられないというのはやるせない思いだろう。

分かり合うだなんてことをひとはよく思えるものだ、と思う。言葉で分かり合いたい、分からせたいという声にだけ返事を返しすぎて、もう声が出なくなってしまった。うつろな身体で彼から抜け落ちつづける金色の時間を見るともなく見ている。見ることは分からないという言葉だと思う。