日記

とみいえひろこ/日記

わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

静かなる冬日の海の昏れむとしこの須臾のかなしみはいづこよりきたる

わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

(『葛原妙子『橙黄』)

 

 

「わがうたにわれの紋章いまだあらず」この歌は自分には分かるような分からないような感じで長くいたし、今もそう。「紋章」と「かなしみ」の意味合いがよく分からなかった。「紋章」とはけっこう重たい感じなのか、他者に向けた紋章なのか(紋章といっても何か特権的な紋章なのか、多種多様なシンボルマークのうちのひとつといった意味合いなのか、こういうことは読む時代や場面によってかんたんに変わりそう)、自分だけがわかればいい紋章なのか、何なのか。かなしみはかなしいのか、やさしいのか、救いのような何かなのか。
「いまだあらず」。いまだあらず、そしてこの先も自分には自分のしるしとなるものはない。そう思ってみること、実際はどうでもほんとうにほんとうは自分を自分だといつも定める何かはないとどこかで知っていることは、なにかとてもかなしく、やさしい、救いのようなものだと感じる。かなしみは、かなしみくらいは、現在でも過去でも未来でも、いつも、どこにいても、自分のいずこかにいたし、いる。われよりも遠く、広く、いつも背中にいる、われよりもたしかにわれを包むことのできるかなしみ。そういう存在に思える。