日記

とみいえひろこ/日記

2024.01.18

長く、このなかで何をどう思ってもいい、ということを言い聞かせ確かめるためだったのが、このなかでわたしは何でもどうとでも思うことができるはずだということをみつけていくためになっている。ように思う。実際に、何でもどうとでも思うことができるんだな、と思う。思う、までの時間をよくみつめられるようになれば。

 

アキ・カウリスマキ/監督『枯れ葉』。いい映画だったな、と、これらのぐちゃぐちゃの時勢が過ぎたあとに、あの時期にあんな映画があったな、と思い出すための映画のように思う。何かがいつかは終わって何かは残る。もっとひどくなって残るだろう自分のためのささやかでひそやかな回復の時間に添うための映画としてつくったんじゃないか、と思った。

依存症の男の道のりの的確さと、道のり以後の悲惨さささやかさと、べつに待っているわけではない女の描かれ方に、真実や寒さ寂しさがこもっているようだった。あの救いのない歌がすごかったのと、犬の名前にぜんぶ込められているようだった。隙間に差し込んでくる流れる雲や水は時間ぜんぶを表し、ずっと音楽が流れている。

 

小野正嗣『獅子渡り鼻』、村上靖彦『傷の哲学、レヴィナス』、水田宗子『大庭みな子 記憶の文学』など、など、さーっと。