日記

とみいえひろこ/日記

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

2022.01.31

そしてあの瞬間が来た。 dは濡れた顔を拭こうとしてタオルをつかんでから離した。落としたも同然だった。 「ディディの傘」(『ディディの傘』ファン・ジョンウン 斎藤真理子・訳(亜紀書房)) たとえば「怪物」をあらためて思い返す。終わっていても、終わ…

2021.01.30

かなしみを知つたとしてもかなしみを悉りつくしてはゐないのだらう 川﨑あんな『さらしなふみ』(砂子屋書房) 固定せず、どんどん変わっていくからつかまえることが出来ないというところ、変わる一瞬一瞬に応じるという感じが難しくて苦労するところ。どこ…

2022.01.30

「怪物」(監督・シム・ナヨン)、おもしろすぎて16話通して徹夜で観てしまった。ドンシクのようにわたしも目の下真っ赤になった。なんなんだろう、とくにあの音楽のねっとり濃厚な使い方は。

2022.01.28

ロッテリアどこにあるって聞かれたら九十九年の夏の新宿 鈴木晴香『心がめあて』(左右社) この歌が何ヶ月か頭から離れなくて、妙に執着してしまう。眩しくてたまらない。眩しさ、切なさ、塩辛さ、恥ずかしさ。誰のものでもなく、もうどこにもない経験や感…

2022.01.26

何度か、捜しに行ったことがある。最初は走って捜す。間に合わない、今はここにはいない、と分かったら、彼の速度を思いながら、歩いて捜す。わたしの速度でもなく、彼の速度でもない速さで歩く。わたしの時間でも彼の時間でもない時間を。どのルートを辿り…

2022.01.26

「空白」(監督・𠮷田恵輔)。最後まで残ってしまったのが彼なら、そういえば、ぐちゃぐちゃの顔を見たのは彼だけだった。最後まで残るべきは彼だった。顔を見たい、とお願いし、すっかり遠くへ行ってしまった顔を、もう遅すぎたとしても、もう遅すぎたとい…

紫の深谷が見えて

紫の深谷が見えて少しして美しい人生が終る その人はわたしのようにかなしいと思うまで睨んでいる風景 「かばん」2022年1月号より

2022.01.24

自分の感じつづけていた罪悪感はじつは、人間が普遍的に感じる、生きることへの罪悪感だったとも、私は知らされた。そして、その罪悪感は生きることの喜びにもつながる。悲しみ嘆くことも、生きている人間の営みのひとつなのだった。 津島佑子『快楽の本棚 …

2022.01.19

濱野ちひろ『聖なるズー』(集英社)、読み終えて日が経つごとに身体に沈殿していくようだし、自分の身体的なスペースが身体の外へ広がってゆく感じ。同時に相手のエリアに敏感になる。 相手を、成熟したひとつのいきものとして対等に扱うということについて…

2022.01.17

写真を撮るときは、これでおしまいだということをわかっていない。半分わかっている。 そろそろこの関わりはおしまいなんだとどこかで3人とも意識している。ある冬の日に、2人が向かい合っているときに写真を撮った。撮ったものを1人に見せながら、これをプ…

2022.01.14

まだこれが答えのすべてというわけではないけれど、このあたりで今は納得しておいて、そしてもう少し近づいて見ていくことができるんじゃないかというところに来た。寒くて自転車で泣きながら帰る。ずっと考えていたのに、すぐ思いつきそうなことなのに、自…

2022.01.10

スナウラ・テイラー 今津有梨・訳『荷を引く動物たち 動物の解放と障害者の解放』(洛北出版) 繁殖と搾取を通してわたしたちが生み出した倫理的問題のかずかずを解きほどくことを試みる前に、わたしたちは、異なる動物たちに対するわたしたちの責任にかんし…

2021.01.06

たぶんわたしが調べて、常識的ではないと感じたとしても、いろいろなものをとりはらって、本人に応じるようにして伝えるしかない、それ以外ない。そう思うことがある。うすうすそう思っていたけれど、失敗するのを避けたかった。そのつもりでよく調べてそう…

2022.01.01

短い、さびしい淵に来て、ふたりか三人はすこし話す。それぞれがそこを出ていくまで。話はたいてい噛み合わない話だった、内容もタイミングも。みんな自分のことばかり話し、自分のことばかり考えていた。誤解は解かれず、ほんとうのことは語られず、いつも…