日記

とみいえひろこ/日記

短歌

小黒世茂『九夏』

なにかが来る前のやうにも遠のいた後のやうにも目をつむる馬 やさしいふりあかるいふりして沖は凪ぎ在所の岬はわたしを忘れた カーテンは水藻のゆらぎ まつくらな自室に鮫が泳いでゐたり 風みたいに何度も生まれるのはよさうけふは銀杏のみだれゐる街 さほど…

ガムを噛むみたいに

百日紅の色ふかくして雨つづく階下に人の死にたさのある 夏冷えの耳揉みながら撫でている戦いのさなか濡れた枯葉を 水のにおい水のにおいにひたされて窓辺輪郭くらくなるころ うどん屋の明るいひかり吸うような時間がしんと流れ夕方 白くなる信号の下待って…

土曜日に

先延ばしするほど赤い花灯り公園のある通りに暮らす 翳りつつスミレの色のカーテンが静まっている(声を待つとき) まんなかに光があった できるだけ影に汚れてまもられていたい 熱っぽい水と流れて天窓へ光を返すヴィデオ日記は ほの青く粘土は置かれ今だけ…

2021.09.05

ひら と着せかける浴衣のうしろより蟬鳴き出づる 囘復はあれ 佐竹彌生『天の螢』 回復は、名前や言葉や場所、時間を逃れることのできる力のようなものと思う。力を逃れることのできる何か、意味を逃れることのできる何か。 着せかけるときに着せかける誰かを…

黒やぎのお手紙届きますように

黒やぎのお手紙届けばいいけれど何度もやり直せればいいけど * ふくらはぎかなしいくらい冷えるから綿・杭などを口で運んで 何もかも終わり 快楽に降る雨が嫌というほど光を吐けり 鬼のようにぼくがあつめた紐という紐たち 黒い箱にねむるよ どんな顔で居れ…

口笛

夜更けてひとがダンスの練習をつづける映像 しんとする夜 口笛でふらりと闇を切り裂いて分け入るように曲ははじまり 春の夜のえぐみをふくむ風でしたみずうみをつくるために動いた ない場所にないブランコが揺れている風重く降りてくれば六月 いつかわたしい…

山崎聡子『青い舌』

目をつむってものを見るときに温度が手がかりになる。青い舌は目でものを見ないときに使う目であり、ものをいわない舌でもある。そことここを行き来するのが舌なら、赤い舌よりも熱く抽象的な青い舌は、そこより遠く、ここより近くを分け入り行き来すること…

「西瓜」創刊号

背の穴をあけっぱなしで寝ているの 穴をとじたら死ぬの、助かるの (「西瓜」創刊号より) 短歌の同人誌「西瓜」は3か月に一回発行されます。 創刊号が発行されて、のろのろしている間に多くのひとの手元に行き渡り、2号、3号、4号…のこともどんどん進んでい…

いない

ぺらぺらになってあなたが死んでゆく夢をみたのよ薄く汚れて 消えたさが霧にながれて足下にまといつく冬 誰の消えたさ この塔のうちがわは時間が止まる ときどき、こうやって、息をする (「舟」第38号から、はじめの3首)

動物たちへ

きみが死ぬものがたり隣りに読めば目のふちの赤は何に通じる 馬のほか誰も辺りにいない夜 布を裁つとき呼気長くして おおかみの濡れたにおいの居残る夜 と思えばふいに部屋がすずしい 玄関におそろしく黄色い花が大きく咲いて揺れてしまうよ 黄の花に照らさ…

二月→八月→一月

繊細に書き分けられ書き直されて ひろしま ヒロシマ 広島 hiroshima 緑濃き園のめぐりをひしひしと窪みになってそこで掃くひと 八月のなかごろ、桃を食べているときにぜんぶがだめになって * 爆心地、女工ばかりの被服支廠、内部の写真、その子、その子を産…

2021.05.21

川にあひ川のことばは愛するは去りゆくべしとみづのいざなふ 森岡貞香(『珊瑚数珠』(『森岡貞香歌集』(砂子屋書房)から) ことばに実体はない。結びつけようとし、ぶつけ、叩き、響かせ、もうだめ、とため息をつく頃、ひとつひとつ、そのときどきに鳴る…

葛原妙子『飛行』

廢車の窓に朱きゆふぐも流れたり喪ひしものを限りなく所有す 朱・あか 暗い森をいつからか胸のなかに棲まわす。暗い森がいつからか胸のなかに棲みついたから。いつからかどこからか樹がここへ来て育ち、暗い森になった。こんなにわたしの胸のうちに育ったの…

笹川諒『水の聖歌隊』(書肆侃侃房)

椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって 何度でも、このはじめの歌のこぼれる場所に戻りたいと思う。 ・歌集を読み始めたときは、出てくる言葉がいちいち自分が普段用いている意味やトーンと違う使われ方をしているような感覚があって、…

動物のように

動物のように身を寄せ合ってじっとしてずっと他人でいられたらいい 動物のように身を寄せ合ってじっとしてずっと黙っていられたらいい 野のことは野を突き刺してひと日立つ冷えた脚もつ門のみの知る わたしは立って、彼はすわって話すんだ 潮のにおいも届か…

犬髪を噛むけものをつつむ夜が来てここにいつまでいないといけない 蜜をもたないからだで仰向けにおもう やさしいさびしいことを 金木犀のにおいの果てた場所に棲むあなたにいちにちだけ会いに来た 会いにゆくときは必ず色のある水を携えすこし畏れて よこが…

葛原妙子『縄文』

貝の中に婦人の像を彫りこめし異國土產にくさり光れり 蒼ざめし一枚貝のなかにゐる貝婦人月婦人ともみゆ 月・げつ 鴉のごとく老いし婦人が樹の閒ゆくかのたたかひに生きのこりゐて 花瓶にときをり捨つる吸殻は落葉の影となりて溜りぬ 瓶・がめ 落葉・らくえ…

感情は

感情は静けさのこと 平日は人のいない園、冬の噴水 彼女の痛みの遅れてとどく曇り日にみじかく息を吐き、話し出す (「かばん」2020年1月号)

パーカーのフード、今夜のニュース。

息つめて盗み聞くことゆるされていたりき紫苑の色のフードに 小さくて善いものたちを箱に詰めいつまで続く秋かを知らず 草はらに首すじのつづき眺めて浅いねむりをうつされていた 女の子産まなかったと思いつく母とその母ら産んだあとには べつべつに水のに…

ひとつぶひとつぶ水死なせゆく音として聴けるつめたきわが夜の耳

ひとつぶひとつぶ水死なせゆく音として聴けるつめたきわが夜の耳 なみの亜子『「ロフ」と言うとき』(砂子屋書房) なんてきれいで苦しい歌。 周囲におかれた短歌の流れで読むと、この水や音が抽象的なそれでなく、物質としてかたちや重さをもつものを描いた…

好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ

好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ 東直子『青卵』(ちくま文庫) 引っ越す前日の夜に少し迷って、浴室に置いていたシャチのおもちゃも詰めた。水族館に行ったときにおみやげで買ったわりとリアルなシャチで、べつにかわいいも…

眉を引く/耳の内側

あるのに、と思う いつも黙ってがたがたしていて悔しくてくやしくて それだけの話だったと思いつつキンポウゲ摘む ひとと別れて ほそくほそくすくなくなって消えかかる思いの芯の見える寸前 首と目でいらないことを示しいる いいんです 今は わたしには 髪を…

雨後の草あはあはとあり生くることけだるくなりしまなぶたに沁み

雨後の草あはあはとあり生くることけだるくなりしまなぶたに沁み (葛原妙子『橙黄』) つめたく濡れた青い暗い草。草はいつか草と名付けられ、光の見せる存在としてそこにある。弱い、視線の低い位置にのこる小さな光の重たさがある。長い雨の時間をそれ自…

わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

静かなる冬日の海の昏れむとしこの須臾のかなしみはいづこよりきたる わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる (『葛原妙子『橙黄』) 「わがうたにわれの紋章いまだあらず」この歌は自分には分かるような分からないような感じで長…

葛原妙子『橙黄』

炭、粟、盥、蟻のごとくに運びきてわが體力をひそかに養ふ 原始をとめ火を焚くことを知りし日のその恍惚か背を走るもの 雨後の草あはあはとあり生くることけだるくなりしまなぶたに沁み 夜の葡萄唇にふれつつ思ふことおほかたは世に秘すべくあるらし (唇・…