日記

とみいえひろこ/日記

短歌

喉白く

喉白く五月のさより食みゐるはわれをこの世に送りし器 月光の階昇りゆく魚にして瓦斯の火持てる母の照らせる あかときを音高まれる時計にて父母なきものはいのちするどし 『びあんか』水原紫苑(深夜叢書社) 必要があって、もらった時間内でバロック様式の…

信用できるものは怖いもの

冷えた風持ち込んで去ってゆくだけの端役の男の声低くして 窓になる心で声をきいていた途切れたり呻いたり人はする もうここでやめたい鼠渡れずに渡ろうと思わなければよかった すみれ色の長いスカート風を知る嘘をついたら報いを受ける 全部つじつまが合っ…

ああとふ声が

のどに指いれればふれるばかりにてああとふ声がかたまりをなす 今日は、古い時代の外国の短編集を少し読んだ。集められたものを読んだら、ああ、この時代はゆううつを手がかりに、足がかりに、ものを見つめるということをさぐっていたんだ、と分かる気がした…

雪ふらずとも

シクラメン売れ残りたる店先の雪ふらずともほのかに明かし 残る側にいることは、明るい場所にいること。明るい場所を私が選び、残る力があってしまったということ。あってしまった、残ってしまった。という思いがどんどんはみ出すけれど、それでもやっぱりそ…

澄田広枝『ゆふさり』

少しだけ、走り書き。 読み通してどうしてか陽の描写が印象に残っている。陽の見つめ方、付き合い方、ついにこんなさまざまなバリエーションができていくんだと思った気がする。侵食してくる、覆い被さってくる、父なるものとしてあらかじめ自らの身体に入っ…

綿雲が見るもの

綿雲が見るもの 受け取ろうとしていた手なのか渡そうとしていた手なのか鳩の向こうの ぬいぐるみに見ていて欲しく嵐来るだろうターンにこちらを向かせる オレンジの触れてはいけないもう一度傷つくだけのダウンジャケット 陽の当たる場所にいくつか綿雲がこ…

柚木圭也『心音(ノイズ)』

ポテトチップスひと皿夜の卓上に置かるるただの物体として すり傷おほきコップにて飲むワインゆゑ視えてくるものあるやもしれず しんしんと深海にただよひゐる水のさみしさにも似て“自由”といふこと 柚木圭也『心音(ノイズ)』(木阿弥書店) とってもかっ…

「半券」004号

「半券」004号 噓つきの子どもはすすきのように立つ 間違ったこと何もしてない とみいえひろこ/子どもの風景 海からの湿った風を堰き止める紺のシャッター泣くように鳴る 竹内亮/サブスクリプション イルカからもらった名前 花束をデルフィニウムのブルー…

「フミノオト fumi note」vol.3

「フミノオト fumi note」vol.3 喧嘩ではないから許せもしないこと雨は雨として降っている 杉田抱僕/雨は雨、言葉は言葉、花は花 虹たてば虹のもちたる不確かさ日照雨に入りて見失いたり 杉本美和/虹 わかるはずない おまえなんかに 吐き捨てた後のかおし…

一枚の赤い楓が言った

疲れたね何もなくなってしまって 一枚の赤い楓が言った 痛みなどに立ち会うための庭がある 古い古い何もない庭 そこをゆくとき見られているという感じ 扉の灰色の重たさに ほそりほそり透明に尖りゆく記憶あまいつめたい針になるまで 何か私、渡さなくてはい…

桃色の

桃色のこの空のために死んでもいいひとつの夜を終えてしずけさ 影には満ちて、とろとろ満ちて今までのぜんぶが風に慰められて (「かばん」2023年1月号)

十月の窓辺

しみしみとピーマンを焼く夕方に痛むところを探りあてたく みぞれのにおいウォッカのにおい混ざり合う記憶のどこかしんと静かに 花、秋のはじまりに似合う花ゆれる離れた場所ですばやく簡素に 舌打ちに満たない音を響かせて犬が水飲む秋のめぐりに 爪と爪ふ…

立花開『ひかりを渡る舟』

窓ぎわの猫一度鳴く 笑わねばならぬ日が重なって剥がれぬ 呼ぶたびに言葉が傷を負うことを知りつつ幾度も呼びたき名あり 疲れやすき私は途中で座りしが先へとなおも引く力あり ふたりだけの詩を詠むあそび沈黙に金木犀のふたつ、みつ、落つ 私じゃないわたし…

人は約束をしてしまう

もしぜんぶ駄目になったらゆく沼のひとつを今朝はふかく愛せり ほつほつと話したことのないことを落ちた実を眺めながら思うも 約束のちぎれながら咲くさるすべり忘れたものと思っていたが あの頃のようにあなたはひとりきり三角座りに煙草など吸う 母の真似…

R.I.P

伸び縮みするほうの時間をもらう夜をこめて降る雨に似ている はじっこにあるものいつも愛されて風がしきりに吹く、いやな風 どんな、ああ 別れ方するんだろうかおしまいの時間が少しずれて それから、階段を下り顔を見るだけでよかったのに しなかった ボウ…

2022.09.07

親切なあなたであったと思う時秋の朝顔花のみ残る 川本千栄 自分から遠くへ 遠くのもののそばへ すうーっ と自分から離れてゆくことで、もっとも遠くのもののそばへ近づくことでこそ、なにか、存在の核心に触れていこうとするような感じがあって、その位置の…

これ以上持っているのは苦しいと伝えてそれからやっと苦しい 話し出すときにはとうに溢れいてにおいたつクチナシの花みたい ひと晩じゅう ひと晩じゅうって歌ってるようにその声聞こえてしまう ふんわりと入ってくるから肯定と受け取っていた低いボイスを も…

ここで待っていてください

待つ時間というのはいつもふいに来る 悪趣味な色の床にうつむき 書き足したところつやめく事務室のガラスの奥へ紙差し出せば 案内の男の声が良い声でどういいのかを考えている 気がかりがいくつか混じりあいながらほどけずにシャボン玉の下ゆく 長くなりそう…

こちらから倚りかかれば受けいれる腕ふわりと蝿が浴槽にくる アジールというほどのものではなくて蝿這うさまを見ている時間 石鹸の嫌というほど白い香によごれて蝿と入浴をせり ふゆ風もはるの光も背をさする腕もここへは入ってこない 夢よりもかるい抱き寄…

岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』

ユニットバスに混ぜてはいけない塩素系洗剤を撒き眠りつつ待つ どの歌でもいいけれど、一首。いつもずっと、頭のなかにいくつかの気がかりが絡まっていて、古い気がかりや新しい気がかりを埃が接着し、束ねている。わたしがしゃがんでそれを拾って整理したら…

失敗と手

さらさらと送り届けてその後は手だけが映る鏡みている 伸びすぎた髪重そうに垂れていて手の位置にある鏡が映す どこからが失敗だったんだろうか木末に声が膨らんでゆく 404 not found 2000年代の西洋圏の誰かの日記 ろうそくでも手でもなかった 祈りでも 縁…

手を離す想像をしたよこがおを見ていたために匂う林檎は モノクロの写真のそんな顔をしているとき何をかんがえている 駄目にしてしまう手を持つ 取り出してシャワーを浴びせあたためている 頬づえにあわく光の耳眺めたくさんひとをきらいになった いいえ い…

噴水の方

噴水の方まで逃げたって同じよ 帰って生きていなくては駄目、と 今 バスの大きなやわらかな影が頬に暗さを塗り込めていく 何枚か鋏で切って悲しみをテーブルに置いてゆく手のひら いつ終えても終えられなくてもかまわない 貝に火通す夜に鈴の音 浴室の昼には…

今さら、と半秒ほどをただよってのちにヒメツルソバを見下ろす オレンジの濡れた小さな箱ひとつ朽葉の暗いかたまりのなか いちばん楽しかった、あの夜 大雨で全身で泣く兄の真似をして 赤い遊具ゆっくり冷えてゆくだろう わかるし、わからない 今もそう そこ…

2021.01.30

かなしみを知つたとしてもかなしみを悉りつくしてはゐないのだらう 川﨑あんな『さらしなふみ』(砂子屋書房) 固定せず、どんどん変わっていくからつかまえることが出来ないというところ、変わる一瞬一瞬に応じるという感じが難しくて苦労するところ。どこ…

2022.01.28

ロッテリアどこにあるって聞かれたら九十九年の夏の新宿 鈴木晴香『心がめあて』(左右社) この歌が何ヶ月か頭から離れなくて、妙に執着してしまう。眩しくてたまらない。眩しさ、切なさ、塩辛さ、恥ずかしさ。誰のものでもなく、もうどこにもない経験や感…

紫の深谷が見えて

紫の深谷が見えて少しして美しい人生が終る その人はわたしのようにかなしいと思うまで睨んでいる風景 「かばん」2022年1月号より

今日

話しながらときどき遠くなりながら桃色の海を思い浮かべる なにかもう使い果たした気になった あなたの優しさも寂しさも 既視感の多い日がある床にもの拾うとき影が足にひろがり いちにちをかけて小さな生きものは食べる 冬の色のフードを 忘れられ失いつづ…

読まれるもののために

油揚げみたいに光る犬でしたゆうべ抱きしめ合って寝たのは 耳を立て大人しくしていたいのです幸せも不幸せも嘘もなく しみじみとふくらんでくる静けさに切り離してゆきたいこと思う 砂かぜにくるぶしのあたり涼しかり怒りや恥ずかしさに溢れいし 鉄くさい風…

小黒世茂『九夏』

なにかが来る前のやうにも遠のいた後のやうにも目をつむる馬 やさしいふりあかるいふりして沖は凪ぎ在所の岬はわたしを忘れた カーテンは水藻のゆらぎ まつくらな自室に鮫が泳いでゐたり 風みたいに何度も生まれるのはよさうけふは銀杏のみだれゐる街 さほど…